る、るーるるる、る、るーるるるる…
映画「すずめの戸締り」観たら主題歌が脳内リフレインしまくって文字を見てないのにゲシュタルト崩壊を起こしています。
どうも。
仙台市青葉区広瀬通り沿いでviaという美容室をやっております。
スズキです。
新海誠監督の新作として話題の本作。
先に述べると何度かうるっとさせられるシーンも目から汗が零れるシーンも正直ありました。
ありましたが、その上で言わせてもらうと個人的には「無し」でした。
これは映画の出来云々の問題ではなく所謂「生理的」なやつです。
これがダメなのは一般論ではなくスズキ的にはノットオールオッケーってことです。
何故かというと全ては「テーマが震災だから」。
この一言に尽きます。
めちゃくちゃひねくれた言い方しますが震災を肌で感じ事実として受け止めた身としては
震災をネタにお涙頂戴ストーリーをドラマチックに描いてんじゃねぇよ
としか思えなかったんですよね…。
もっと悪く言えば震災をネタに金儲けしてんじゃねぇよ、と…。
もちろん震災から12年も経ち、震災というものを伝えるすべを考えなければいけないタイミングが来ていることも分かります。
新海誠監督自身も今だからこそ描かなければいけないという思いがあったみたいですしね。
ただ、それをファンタジーを交えてハッピーエンドなストーリーに仕立て上げるのにはどうも納得が出来ないんです。
百歩譲ってもし新海誠監督が当時住んでいたり地元だったりが南三陸や陸前高田や南相馬だったのならば響くものがあるのかもしれないけど、実際にあの揺れを経験し3月だというのに雪が吹きすさぶ寒さの中歩いて帰るしかなくなったあの日を経験しただけのぼくでさえ「何を知っとんねん」となっちゃうわけで。
ぼくの従兄弟は津波に飲まれかけ1週間ほど行方不明でした。
ぼくの友人は建てて間もない新築の家をその地域ごと流され数ヶ月間避難所生活をしていました。
ぼくの同級生や後輩で帰らぬ人となった人も数人います。
震災で甚大な被害のあった地域の人達はぼくの経験でさえぬるま湯にバブでも入れたんかくらいのエクストラハードモードだったのは想像に難くないわけで。
それをファンタジー交えて「いってきます」は「ただいま」とセットであって欲しいよねとか「生きるのも死ぬのも運次第」みたいなこと言われても黙れよとしか思えなかったんですよね…。
繰り返しになりますが作品自体は否定しません。
泣いたシーンがあったのも確かです。
ただ、個人的に震災を語るならドキュメンタリー性がほぼ100%じゃないと受け入れられないってだけのこと。
もしくは直に震災を経験した人が「こう伝えたい」と作ったもの。
なんなんでしょうね。これ。
一種のトラウマなんでしょうか?
どうもこの手の震災を経験してもなお前を向いて歩いていく物語みたいなのって素直に受け止められなくて…。
前を向いて歩いていこう!ってより、そうする他ないみたいな絶望的要素の方が大きいと思っててそれをポジティブに昇華させていいのは当事者のみな気がしてならんのです。
まして、なんか見た事あるなぁってのがあったにせよソウタさんイケメン!好き!からのソウタさんがいなくなった世界は怖い!みたいなのが陳腐過ぎて…。
ソウタもソウタでスズメさん!危ないから来るな!からの身を任せれば大丈夫!な展開が、イスじゃなくなったなら1人でやらんかい!お主閉じ師やろがい!的な…。
まぁ新海誠監督の映画に出てくる男は基本ダメなやつってのがセオリーなんでそれはもう織り込み済みなんですが。
とにかく「すずめの戸締り」は震災を思い返すから辛いとかってより、震災をスパイスとして使うんじゃねぇよ的なぼくの個人的な領域侵犯を犯したって意味でナシでした。
やはり新海誠は「ほしのこえ」と「秒速5センチメートル」あたりが好みです。
いやぁ、映画って本当に面白いですね。