今日は真鍋くんの葬儀だった。
日曜日。仕事が終わってからその足で夜行バスに乗った。着いたのは羽田空港。
出発ゲートに向かうと、見た顔が。
前田くん。
何度かお会いしている美容師繋がりの友達。彼と繋がったのも真鍋くんがきっかけだった。
2人で朝イチの便に乗る。全く別で予約をとったのに、空席をひとつ挟んで隣同士の席だった。最後までよく分からない気の遣い方をするやつだねなんて言いながら着いたのは大分空港。
前のブログに真鍋くんへの気持ちを綴り整理したつもりでいたが、やはり実感もなければ整理もつかない。
それに、彼の実家は大分。おいそれと墓参りに行ける距離でもない。
最後にきちんと顔を合わせておかないと後悔すると思い、急遽来ることにした。
正直、めちゃくちゃ遠いわ金はかかるわ行くのは大変だわで最後までお騒がせなやつだなぁと懐かしささえまだ感じない彼を、心の中で生前のように煽った。
真鍋くんと出会ったのは彼がまだ東京にいた時で、最初の頃ネットで彼を介してやり取りしたり東京に行った時に集まったりしたメンバーはほとんど関東勢の美容師仲間。
だけど関東は火曜休みが通常であり、月曜である今日はほとんどみんなが仕事。一方ぼくは休みだ。
冷たいようだけどぼくは仕事があってご予約のお客様がいるなら来なかったと思う。
もう居なくなってしまった人よりも、自分を必要としてくれる人に恩義を尽くすことが大事だと思うし、それは彼も納得すると思う。
関東の美容師の友達はみんな行きたがっていたけど、無理矢理お客様を断って仕事を休んでまでは行かないという選択をした。ぼくは正しいと思う。
そういう人たちの為にもと言ったら大げさだけど、そういう思いを感じていたのもありぼくは自分が行ける状況にある以上行きたいと思ったのもここに立っている要因の一つだった。
「笑って送ってやらんと。」
大分に向かう前に何人かの友人とLINEなどでそんな話しをしていた。
奥さんも美容師仲間の1人で、みんな奥さんのことを1番心配していた。
斎場に着いてみると涙しながらも気丈に振る舞う奥さん、温かい中にも品格を感じさせるご両親、とても気遣いもあり笑顔を絶やさなかった弟さん、堰を切ったように涙するご親類の方、彼の思い出話に涙を浮かべながら花を咲かせる美容師仲間、たくさんの人の感情が入り乱れていて、涙をこらえるのが精一杯だった。
葬儀も終わり祭壇から下ろされた棺の中で安らかに眠っている真鍋くんの顔を見た。
本当はここで文句のひとつも言ってやろうと思ったし、何なら奥さんや仲間の願いを叶えられなかった彼を引っぱたいてやろうくらいの気持ちだった。
もちろんそんなことが出来る訳もなく、友人達から伝えてくれと言われたことを伝えながら手を合わせた。
文句の代わりに、こらえるにはあまりある程の涙がこぼれた。
火葬場に向かい、気持ちの落ち着いた仲間達と談笑をしながら弔いの時を待つ。
不謹慎とも言えるくらいくだらない会話をしながら、酒が弱いぼくは普段自分からは飲むことの無い缶ビールを1本飲み干した。
とてつもなくくだらない会話。真鍋くんが好きだったTwitterで並行して行われる現地にいない美容師仲間との何気ないやりとり。
いつもなら真鍋くんがいたであろう光景は彼がいなくてもほとんど変わらなかった。
ただ、そこにいた全員が真鍋くんをきっかけに繋がり、彼がいなかったら知り合うことの無い人達なのは確かだった。
今、帰りの飛行機でこれを書いている。
飛行機に乗る前には美容師仲間と居酒屋に行ったし、空港の近くに宿を取った前田くんと空港の中の寿司屋で寿司を食べた。
真鍋くんがいなくても、どうせ食うなら美味いものが食いたいと思うし、寝不足気味のぼくはこれを書きながら眠くもなっている。
きっと真鍋くんのことを思って笑うことはあっても泣くことはもうないと思う。
集まった人達、集まれなかったけどぼくらが知り合ったネットという場を介して気にかけていた人達、ネットではない場所で思いを馳せていた人達。
みんな真鍋くんがいなくなっても普段通りに生活する。
これは蛇足かも知れないけれど、勝手に進めていたことがある。
以前、ぼくは真鍋くんの個人メディアがおかしくなったと相談を受け、その時にログイン情報を聞いて復旧作業を手伝ったことがある。
その後、しばらくしてまたおかしくなり表示されなくなっていたが、その時はぼくには相談もなかったしそのこと自体をぼくは把握しきれていなかった。
真鍋くんが倒れて数日たった時、それに気付いたぼくは余計なお世話なことも、本来ならあまり良くないことなのも知っていながら彼のメディアにログインを試みた。
結果ログインは出来ず、色々調べたりサーバーの管理会社に問い合わせたり奔走してみたがやはりサーバーごとデータ自体が削除されており復旧は不可能ということだった。
彼が書き綴ってきたログを何とかして復旧したかったし、そこにある記憶と記録をぼくも含めたみんなが、特に奥さんがもう一度見られるようにしたかった。
結局はそれも叶わなくて、でもそれももしかしたら真鍋くんからのメッセージで、彼がネット上で好んで使っていた「なんj語」で言えば「きさんらワイのこと気にし杉内wwwもうほっといて自分のやることやってクレメンス」と笑っているのかもしれない。
何にせよ、ぼくの中でこの10日間くらいの不安と憂いは今日で全てが終わり、また普通の日常に戻る。
真鍋くんのことを思い出すこともしばらくはあるかもしれないけれど、その時はぼくららしく不謹慎だろうがなんだろうがヘラヘラしながら煽ってやろうと思う。
とてもよく晴れた清々しい日にきちんと見送れてよかった。
深い悲しみを見せず、気を遣い何度もお礼を言ってくださったご両親と弟さん、辛いのに頑張って笑顔を見せて最後にはぼくらの心配までしてくれた奥さん、集まった理由は喜べたものでは無いけれど一緒に過ごしてくれた美容師仲間の皆さん、ありがとうございました。
真鍋くんには前のブログで挨拶したし、今日も伝えたからもういいかな。
最後にひとつだけ心に残ったことを。
真鍋くんのお父さんが式辞の中で「短くても長くても関係なく、いい人生を送ったと思う」と仰っていた。
もちろん、不本意であることは明らかではあるけれど、そう言わせられるくらい濃密な人生に出来るよう自分も改めないとな、と。
明日からは当たり前のようないつも通りの毎日を一生懸命過ごさないと!
ノシ