10年目。
あの震災も仙台駅周辺を生活基盤にしていると、もう遠い過去のような気がしてくる。
現に、毎年この時期が近付くと震災関連の報道やネットの記事などが目につくようになるが今年は気のせいか津波の映像や画像がやたら多い気がした。
今まではそういった画像、映像自体を自粛していたり「ショッキングな映像が流れます」みたいな注釈を入れてからだったはずだが、あまりにも簡単に目に飛び込んで来てしまい少々面食らってしまった。
それが風化なのか、はたまたぼくがまだあの時に置き去りにされているだけなのか。
そうだとしても、津波に直面した人達にとっては何十年経とうが配慮すべき代物ではないのかとモヤモヤした気持ちになった。
僕の友人の住む地域には高さ8mを超える防潮堤ができた。
今まで目の前に広がっていた海は壁の向こうに追いやられた。
不謹慎かも知れないが、「進撃の巨人」が頭に浮かんできた。
数世代後の子供たちはなぜ自分たちが壁の中にいるのか本当の意味で理解するのは難しいだろう。
ところで2月に起きた地震。
さすがにあの揺れは「またか」という危機感と諦めを同時に感じさせ、最悪の事態が頭をよぎった。
次の日、ぼくは何事も無かったかのように普通に営業していた。
ビルのエレベーターが止まっていただけで普通の日常だった。
いらしたお客様とお話していると一様に「電気もガスも水道も来てるからね。」と。
そして「津波が無くてよかった。」と。
震災を経験してからというもの、地震が起きてもライフラインがあれば、津波が来なければただの揺れだとしか思わない鋼のメンタルが出来上がっていた。
いいか悪いかは別として。
10年経ち、被災地であろうとも多分に漏れずに欲にまみれ、自己都合と一面的な正義を振りかざしている。
もっとこうしろ、これをよこせ、こうじゃなきゃ嫌だ、これはおかしい、これは間違っている、こうすべきだ、これは嘘だ、これは不快だ、と罵詈雑言が飛び交う。
簡単に人を傷つけ、人を憎み、人を蔑み、人を妬み、人を貶め、人を騙し、そういう一種の自己実現が炎上すると誰かがまたその人を傷つけ、憎み、蔑む負のループで欲求を満たす。
多様性という名のもとに、「令和」に順応できずにいると排他される画一性。
誹謗中傷した人を誹謗中傷する人がいる。
こんな情報を拡散すべきじゃない!という意見を拡散する人がいる。
色んな意見や考えを尊重すべきだからあなたの考えはおかしい!と相手の意見をへし折る人がいる。
世の中は10年前より今の方が矛盾しているように思う。
10年目。
震災の恐怖、悲惨さ、そこから学ぶべき知恵や勇気。
未だ復興したとは言い難い被災地の苦悩。
もちろんそこに想いを馳せるに値する日ではある。
ただ、何となく、こんな世の中だから10年前、手に入りにくかった食料を分け合った優しさや、同じ被災者なのに仕事を全うした人達の責任感や、辛いのはみんな同じと整然とレジに並んだ慎ましさや、被災地の為にと節電した慈愛を思い出すことの方が必要な気がしている。
恐怖や、苦しみや、絶望や、孤独は震災と関係の無いところでも蔓延している。
10年目を迎えるにあたって見返すべきは、そういう場所に陥ってしまった時の道徳めいた自己犠牲とか助け合いとか優しさとか思いやりとかそういう綺麗事の大切さ。
震災を思い返すのが前を向くためでありますように。