仙台の美容師 スズキユタカのブログ/美容室via@仙台

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ふと思い出したおばあちゃんのこと

約1分

ぼくには10年以上前に亡くなった祖母がいました。
生きていれば100歳を超える年齢なので戦争も知っている時代の人です。

祖母はその年代には珍しく女学校を卒業したいわゆるお嬢様です。
聞いた話では仕事をしたことはなく、若くして祖父と結婚し4人の男の子を育てました。

ぼくが中学生の頃。
祖父が風呂場で転び肋骨を骨折して入院しました。
大正生まれの昔気質の祖父は、着替えを若い女性の看護婦さんに手伝われることを嫌い、介助するから呼ぶように言われていたのを無視して一人で着替えをしようとして転倒。
頭を打ち脳梗塞になりました。
半身麻痺になり寝たきりの生活を余儀なくされました。

退院後は祖母が介護をしながらの二人暮しでしたが、柔道、剣道とも有段者だった祖父を小柄な祖母が1人で介護するには限界がありました。
1年ほど経って祖父は特別養護老人ホームに入所しました。
生涯を誰かのために生きてきた祖母は生きがいを失い体調を崩すようになり入退院を繰り返しましたが、実際本当に悪かったのは身体ではなく心でした。

生きる意味の分からなくなった祖母は痴呆気味になり、荒れていきました。
入院しては看護婦さんや身の回りの世話をしに行ったぼくの母や伯母にキツく当たり、手に負えなくなった病院から退院を迫られるというのを繰り返しました。

ぼくの両親はそんな祖母をぼくに見せるのを好ましくないと思ったのか、いつしかぼくは見舞いにさえ行かなくなりました。

数年経ち、祖母がもしかしたら長くないかもしれないと知らされ最後かもしれないからと両親に連れていかれたのは老人ホーム。
どんなタイプの施設だったのかは動揺していて定かではありませんが、鬱蒼としげる森の中にまるで隔離されているかのように佇んでいたのは覚えています。

祖母の部屋に入るとベッドにちょこんと座った小柄な祖母は萎んだようにもう一回り小さくなっていたように感じました。
「久しぶり」と声をかけると開口一番「あんた誰だ?」「○○(知らない名前)か?」。
再会して数十秒でぼくは何かを察し、その後のことはよく覚えていません。
あまり長くないと言われていたものの、祖母は元気そうで弱っている感じはありませんでしたがそれ以上の、言葉を選ばなければ不気味にさえ思えた祖母は、小さい頃に可愛がってくれたその人とは別人のようでした。
帰りにくぐる木々の中が来た時より薄暗く感じたのは覚えていますが、それが日が暮れてきていたからなのかそれとも別な何かなのかは今もはっきりしません。

またしばらく経ち、今度は祖父がもう数ヶ月もてばいいところだと聞きました。
そして、実はずっとぼくの両親が祖父の施設にお願いしていた祖母の受け入れが叶うことになりました。
同室のベッドが空いたから次の人が入るまではいていいと入所させてくれたのです。

3ヶ月間、祖母は念願の祖父と一緒の空間を、時間を、人生をまた手に入れました。
入所してぼくが初めて2人のところを訪れることになりました。
行きたくありませんでした。
祖父と最後になるかも知れないと言われましたがそれでもまたあの祖母の不気味さと対峙しなければいけないと思うと恐怖さえ感じました。

心を無にしてやり過ごそうと腹を括り訪れたその場所には、弱っていること以外は子供の頃と同じ大らかで暖かなおじいちゃんとおばあちゃんがいました。

3ヶ月後。

おじいちゃんは息を引き取りました。大往生でした。半身不随になってから10年が経っていて、不思議とみんな悲しさよりもおじいちゃんはやっと色々な不自由から解放されたんだという安堵の方が強かったように思います。

おばあちゃんの今後の不安を除けば。

おじいちゃんを失ったおばあちゃんはまた荒れてしまうんじゃないかと、口には出さずとも誰もが共通認識のもとで不安になっていました。

おばあちゃんは1つ頼みを聞いて欲しいと言ったそうです。髪の毛と化粧をきちんとして葬儀を迎えたいと。ぼくの両親や伯父さん達はその願いを受け入れました。

葬儀が一通り終わってみんなが緊張感を緩めた頃、ずっと静かに座っていたおばあちゃんが誰に言うでもなく口を開きました。
「おじいちゃんの最期に一緒にいれて良かった。あとでまた会った時のためにこれからはおじいちゃんと一緒に過ごした3ヶ月を大事にしてもうちょっとだけ頑張る。」と。

もう15年ほど前のことです。
ぼくの記憶が美化されてしまった部分もあるでしょう。当時のぼくはもう美容師として働き始めていて、おばあちゃんのその言葉がきっかけで美容師を志したとか、そういう崇高なものを胸に秘めているわけでもありません。
ただ、ぼくの中のおばあちゃんは最期の数年もそうやって愛に生きて、最期まで優しく微笑んでいました。
そして、愛する人のためにいつまでもキレイでいたいと思っていたひとりの女性でした。

ぼくは美容師ですが、乱暴に言えば髪は飾りだと思っています。
子どものためになかなか自分の時間がとれず染められることなく伸びてしまった根元のプリンも、家事に仕事に必死なために気付くとバサバサしてきた毛先も、誰かの命を大切にするために気になるのをがまんして見て見ぬふりをしている白髪も、その人の人生の一部だと思います。
優先順位なんてそんなに高くなくていいとさえ思います。

でも、ぼくは美容師なので人生の一部はなるべく素敵であって欲しいと願うし、そのお手伝いが出来るはずだとも思っています。

とある国の偉い人は言いました。
もし病気で死んでしまったら髪を綺麗にしても誰も見てくれないと。
そうでしょうか。
もし死んでしまったら、普段の生活以上に最後に挨拶しに来る人が沢山います。みんなが思い出すその人は根元が伸びきってしまったままかもしれません。
一生を捧げた生きがいを失うことがあっても、そういう時だからこそキレイでいたいと思うのが人間だと思います。

今のぼくは逝ってしまった時のおじいちゃんやおばあちゃんと比べてもまだ半分も生きていません。
そんなぼくには例えば人類が初めて直面する危機的状況に直面したとしても正解なんて分かるはずがありません。
それでもぼくは自分が守らなければいけない人やものがあります。
守り方もたくさんあってどれがよかったのかはきっと数年先まで分かりません。

ただ、前を向くために美味しい食べ物がきっかけになる人もいます。
好きな人と会うことがきっかけになる人も、音楽を聴く人、映画を観る人、お酒でリセットすることをきっかけにする人もいるかも知れません。
髪をキレイにすることがきっかけになる人もいます。

世界の平穏も日本経済の行く末も、美容業界の未来や美容師という仕事の価値も、どれもぼくにはどうにもできないし正直知ったこっちゃありません。

ぼくはただ、自分の手の届くお客様が前を向いて素敵な人生をおくるのをちょっとだけ手伝いたい。
それがぼくとぼくの家族の幸せに繋がればいいし、スタッフもそうであって欲しい。
それだけです。

甘く見てるつもりも、強欲になってるつもりもありません。
ただ自分が求められるなら応えたいし、応えられる術を必死に考えていきたい。
そのために国とか会社とか、誰かが何かをしてくれるのを待つくらいなら自分にやれることをやりたい。

ほんとにただそれだけ。

みなさんが山も谷もある中で、自分の正解を見つめてその先にある素敵な人生をおくれるように願っています。

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宮城県仙台市青葉区の美容室、viaオーナー。
「その人に寄り添うヘア」をモットーに手入れのしやすさ・自然なのにキマる髪型を追求しています。ライフスタイルに合わせた上質なカラーとダメージを感じさせない縮毛矯正が得意です。
店内にはキッズスペースも設け、お子様連れでもいらしていただきやすくなっています。

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