8年前の今日。
みたいな話をあと何年するのだろう。
毎年3月が来れば心のどこかがざわついて、11日が近付けばあの日を思い出す。
地震発生直後のこと、それからの数日間のまともに仕事が出来ない日々のこと
数ヶ月後に行ったボランティアのこと。
だけど、その記憶も断片的でどこかで途切れて普段の日常に上書きされているし、震災のことは「思い出す」出来事となっているのは否めない。あれはもう過去のこと。
そう思えるほどぼくの周りには震災の爪跡などと形容される何かは見当たらず、テレビで見る震災特集も沿岸部を除く仙台市内は取り上げられることも無くなった。
きっと「被災者」というのは期間限定のものであり、みんなそれぞれ「被災者」から卒業していくものなんだと最近思った。
だけど、まだまだ卒業なんて程遠い人もいるし卒業の形もまた人それぞれなんだと思う。
幸い家族や親戚を亡くしたわけでもなく、家や財産やそういうものも無傷だったぼくはあの日からの卒業は難しいことではなかった。
友人を何人か亡くしたけれど、それを自分の人生をかけて嘆き悲しむようなことは驕りのような気もする。
命を落とした人達の近しい人達が悲しみ卒業出来ずにいるのを見ると、ぼくなんかが同じ立場に立っているような気持ちになることに申し訳なささえ感じる。
被災者ではなくなったぼくに何が出来るのか、何をすべきなのか、そういうことを考え行動するしかないと思う。
卒業とか言ってみるものの、それさえしなくなることはあの日をリアルに過ごしたものとしてはそれも違う気もする。
県内の沿岸部に住み、未だに被災者であり恐らく彼は一生被災者であり続けなければいけないであろうぼくの友人の、「あの時お腹にいた子がこんなに大きくなりました」というSNSの投稿をみた。えもいわれぬ気持ちになるが、その気持ちを感じ続けることもしていかなければいけないことのひとつなのかもしれない。
ぼくに出来ることはきっと、3.11や何かきっかけのある時にあの日を思い出し、今の幸せを噛み締めながら未だ立ち止まっている人達と未来を託す子供たちに思いを馳せ、そのためにやれる小さなことを、小さなことと思わずに少しでも自分の力を向けることなのかな、と。
黙祷も何か苦手でしなかったけど、やはりこの日は何か特別な気持ちになる。
そういう3.11を毎年こうやって書き綴ることに意味があるかは分からないけど無かったことにはできない出来事ときちんと向き合う時間は無くしてはいけないし無くしたくない。
知らない誰かの幸せを祈れるほどできた人間ではないぼくは毎日のように一緒にいる人たちと、年に数回程度会う本当の意味での被災者である友人達の幸せを願いながらいつも通りの毎日をたまには感謝していきたい。