「髪は女の命」
ジェンダーレスやフェミニズムが声高に叫ばれる現代では古来からの比喩も問題視されかねないのでしょう。
そんな事を思いつつ、気付けば「命」と言われる髪を切ったり染めたりするお仕事をしている時間が人生の半分に到達しました。
このコロナ禍の中、仕事が出来ていることに感謝しつつも毎日を過ごしています。
そんな日々の中、1ヶ月ほど前でしょうか。
ご新規で指名を頂いたお客様の髪を切らせて頂いた時のこと。
普段は仙台から東京まで出向き美容室に通っているというその方はこのコロナ禍でいつもの美容室に行けずに駆け込み寺的にいらしたそうです。
とはいえ、初めて行く美容室ほど緊張感が漂う場所は無いし、何ならその方は美容室ジプシーなわけでも無く半ば強制的に普段とは違う美容室を選択しなければいけなくなったわけで。
苦悩と逡巡の末に選んで頂いたのだということは察するにあまりある状況で、こちらとしてもいつも通りといえばそれまでですが目の前のお客様の要望を引き出す必要はひしひしと感じていました。
具体的なオーダーは明言を避けますがその方には明確なこだわりや希望があり、普段は長年やらせて頂いていてむしろぼくの提供するスタイルを受け入れて頂くような空気感で進めることがほとんどなサロンワークとは違いました。
カットをしている最中に髪にまつわる雑多なお話をしている中で髪型へのこだわりについて話が及んだ時。(これは個人的な見解で、違っていたら腹を切ることも考えねばならないと思っているのですがカウンセリングの時点で明確にイメージが共有できた前提でよもやま話をしていたと思っています。)
ぼくの50%を構成している美容師としての自分が日頃言語化出来ていなかった何かがその方の口からぼくの脳天を激しく貫きました。
髪型はアイデンティティだと思う。
その方はそうおっしゃいました。
そう。
ぼくが普段から思っていたのにうまく表現出来なかったのは正しくそれです。
若かりし頃のぼくは(恐らく若い美容師の大多数が)髪型はオシャレであることが唯一無二の価値でありその為には毎日のスタイリングやアイロンは不可欠なものだと思っていたし、根元がそんなに伸びているなんて裸で歩くのと同じくらい恥ずかしいと思っていました。
ブリーチしてエッジィな色を入れ、はたまた雑誌の表紙に載っている月9主演女優と同じヘアスタイルをし、すべての女性はヘアスタイルのために生きてもらわないと自分の美容師としての価値が無いと思っていました。
そんなユースフルなスズキさんもいつしか色んな紆余曲折を経て丸くなり、今では「髪なんてただの飾りです」と機動戦士ガンダムにおけるジオングの整備士みたいな心境になっていくわけです。
とはいえ、それは決して髪の毛自体や髪型やヘアケアを軽視しているわけではなく、人生において常に「昨日のわたしよりもオシャレで可愛く」だけを目指して人生を消化していく女性がどれだけいるのかと思うとそこに違和感を覚えるようになったということです。
子供のために早起きして眠い目をこすりながら寝癖のまま家事をこなす幸せもあるし、不本意ながらも必要とされてしまうハードワークの為に髪を1本に縛りしゃにむにパソコンに向かう自己実現もあるし、社会の荒波どころか大時化に嫌でも向かうべく人生を左右する就活の為に真っ黒に染める勝負の時も、良くも悪くもない普通の毎日をただただ安定して過ごすという素晴らしい毎日もあるのが人生。
もちろん、SNSに匂わせ投稿したくなるような場面ではヘアスタイルはキメキメにしておきたいし、毎日人に見られる仕事で気が抜けない方はヘアスタイルもきちんとしていないといけないし、大好きだよなんて古事記以来目にも耳にもしていない旦那さんをもう一度ドキッとさせてやりたい時だってあるのも人生。
あえて言えばそんなトキメキ溢れる時間を演出するヘアスタイルだってその後の営み次第では結局乱れに乱れることが往々にしてあるのも知っています。
どんな時間も共にするヘアスタイルだからこそ、オシャレで可愛くあればいいってもんでもないと思う一方、「ただの飾り」なんて言い放ったばかりでメンタル不安定なのかと思われるかも知れませんがヘアスタイルは人生そのものを体現するほどの重要なパーツと言っても過言では無いと思っています。
つらつらと無駄に書き連ねたいわゆる人生における髪型の必然性と重要性を一言で表すとしたらそれは
髪はアイデンティティ
になるわけで、ひと月前に言語化されて以来そのコピーがじわじわかつしっくりと沁みてきています。
いつまで経っても美容師としての自分に満足行かず新しいものに手を出しては、今までやれていたはずのテクニックに疑問を感じ振り返り、メトロノームのように美容師としての自分に反省と期待を行ったり来たりする呪縛から逃れられずにいます。
だけれど、人様のアイデンティティを紡いでいるのだと思えばその呪縛こそがぼくにはアイデンティティになり得るのだと深く納得している次第です。
「髪は女の命」が時代錯誤となるのであれば糸井重里あたりが「髪はアイデンティティ」を広めてくれることを祈るばかりです。
1,2年前までぼくのアイデンティティであったはずの毎日のブログも2ヶ月以上も書かないと訳分からなさに拍車がかかり、締め方に迷って30分が経過しました。
とりあえずぼくはヘアスタイルにこだわるアイデンティティも、ヘアスタイルはそれなりになっていればいいというアイデンティティも併せ持ったニュータイプであり、自分ならジオングももう少し上手く扱えるという自負を書いて締めとさせていただきます。
かしこ。