どうも。久々にやって来ました。
すべり芸の貴公子ことスズキです。
最近はSNS疲れというよりはただ単に「飽きてきた」のでTwitterとも距離を置いたりしてるわけですがそれでも大多数の方よりは滞在時間は長いんだと思います。
そんなTwitterで流れてきた美容師仲間の方達のこんな記事。
これら諸共巻き込みつつ盛大にダダ滑り事故を起こしてみたいと思います。
さて
皆様にとって
『青春』と呼べるのは
何歳ぐらいだったろうか?
初めてディスクシステムの書き換えをした
あの頃か
初めて買った8ミリのシングルCDケースの下半分を
折り取って半分のサイズに
していたあの頃か
ミニ四駆の
スーパードラゴンJrを親に頼み込んで買って貰ったのに
周りはみんなアバンテをカスタムしていて
悔しくてカスタムするのは悪と言い張っていたあの頃か
MDが全盛になった頃にTMネットワークが解散し
今では聞くことさえできないTMNベストみたいなMDを買ったあの頃か
僕の青春は・・・
どこに行ったんだろうか・・・
自分的には
いろんな新しいものが世に出てきた
激動の時代だったのではないかな
と思ってるんだけど
そんな時代を象徴するような
「懐かしいなおい」
と声に出ちゃうような・・・
きっと僕ら世代にしかわからないような・・・
今日はそんな記事を書いてみたいと思う
タマゴラス
これは僕が小学生になるかならないかくらいの時かな?
いまとなってはなぜ流行ってたのかもよく分からない
トラと豹なんて今思えばプリントされてる柄が違うだけな気がするんだけどなぜか両方持っていて、基本みんな四足歩行の動物なのにロボットだけは二足歩行だしロボットだし、戦わせる時にどう考えても違和感しかなかった
練り消し
小学生の頃、普通の消しゴムと一緒にただ練るという目的のためだけに何故か持っていた練り消し。
色んな匂い付きの練り消しが出て来て、練り消しににおい玉を混ぜて自分好みに香り付けするオシャレなやつが現れ、終いには普通の消しゴムの消しカスを集めて練り消しを作るんだけど時間が経つとボロボロになって筆箱の中が消しカスだらけなやつまでいてw
ウゴウゴルーガ
小学校高学年の頃にはポンキッキがウゴウゴルーガになり、投稿前の朝からウ○コの形のブリブリ先生とか、マッチョにブーメランパンツ履いたアニキとか、まん丸い鹿のシカトとか、今思えばなぜあんなシュールなのを朝から見なければいけなかったんだろう…
タブクリア
これは中学生の頃に毎日一緒に遊んでた友達の中では一大ブームだった飲み物。
シルバーの缶が某ビールの缶みたいで大人になった気分で飲んでたのに、気付いたら世の中から消えていて、最近のリバイバルブームでも復活すること無く完全に世間から抹消された飲み物。
コードレス電話
ピッチとか携帯とかポケベルの話はもういいかなと思うけど、そういうのが世に出る前は電話といえば一家に一台しかなかったわけで。
もちろん、彼女に電話する時は家電に電話するもんだからそれはたくさんの障害が立ちはだかる苦難の道。
まず、彼女が電話に出るかどうか問題。
あらかじめ何時頃に電話するとは言いつつこちらも親の雰囲気とかを見計らうのでぴったりにはかけれず、タイミングを間違うとお父さんが出たりして。
間違えました と言って一旦切り、少し時間を置いてまたかける。もうバレバレw
そして、コードレスになる前はコードが繋がっているので部屋からとかかけれるわけもなく居間にある電話を電話線目いっぱい引っ張って廊下のなるべく端っこに言って電話したりして。
デレデレしてたら居間から突然親が出てきて「もう切りなさい!」と怒られてデレデレした顔のまま戸惑うという難度の高いリアクションを決めるのがお決まり。
ヴィヴィアン・ウエストウッド
高校に入り色気づいて来た頃、時代はハイブランドブームになりお小遣いを貯めに貯めてヴィヴィアンの白地にオーブがワンポイント入ってるTシャツとか買って着てるのがイケてた頃。
ピタT
でもそんな服は何着も買えるわけじゃないから普段は古着屋で3サイズくらい小さいTシャツを買って着てて。
みんなトレインスポッティングのユアン・マクレガーのつもりになってたけど、誰ひとりとしてそんな風合いを出せてる人はいなくてただ洗濯に失敗したみたいな人ばかり。
W<
ヴィヴィアンの値段が親にバレ始めてなかなか簡単に買えなくなった頃、やたら派手な色とバイキンマンのロボットみたいなキャラクターが何故か人気だったW<が流行って。
それでもやはり部活まっしぐらでバイトもしてない高校生のぼくには高くて、セールとかで安くなった誰も買わないような蛍光オレンジのピタピタのロンTの上にバイキンマンロボのTシャツが自分の中では最高にイケてると思ってたw
ビームスのショッパーかトラコンのバック
そんな格好をしつつ、バックはトラコンのロゴ入り。ピタTがユアン・マクレガーならトラコンはジャミロクワイだったんだよなぁ。
トラコンのバックに部活の道具はビームスのショッパーに詰め込んで投稿する自分オシャレだなぁと思ってた。
まぁ、オレンジのビームスバックを持ってたぼくが着てるのは蛍光オレンジのピタピタなんだけどw
ポンプフューリー狩り
エアマックスが落ち着いた頃にトリコロールのポンプフューリーが流行って。ぼくの同級生は高校でポンプフューリーを盗まれて、皮肉なことにポンプフューリーが盗まれて手元に無くなってからそいつのあだ名は「ポンプ」になってたw
パラメヒコからのプレデター
ちょっと時代が前後しちゃうんだけど、ぼくの青春を語る上でサッカーのことは外せなくて。
高校の頃はだるくて仮病使って学校サボったくせに部活だけには行くということもあったくらい熱中したサッカー。
中学生の時に「モテそう」という理由で入ったサッカー部。
ぼくが通っていた小学校にはスポ少は野球しかなく、未経験で道具も何も分からないまま入ったサッカー部で初めて履いてたスパイクはヤスダのよく分からないやつだったんだけどだんだん分かってきた頃に憧れてたのはプーマのパラメヒコ、通称パラメ。
当時うまいやつは大体パラメかコパムンディアルを履いてて、特にパラメはアッパーがカンガルーで柔らかい!けど高い!って感じ。
なんとなく親にパラメはせがめなくて、廉価版みたいなカズのサインがプリントされてるスパイク買って調子乗ってた。キーパーなのにw
その後、高校に入る手前くらいでアディダスからプレデターという革新的なスパイクが出て、フリーキック上手いやつはこれ!ってなるんだけど、キーパーのぼくにはますます関係なくて。
そんなぼくも高校でさらに本気でサッカーに打ち込んだ結果キーパーとしてのプライドを確立して、ウールのキーパー専用スパイクみたいのをずっと愛用してたっけ。
ちなみに、キーグロはロイッシュ派でドラムバックはアンブロでしたw
パーティー
高校の頃、バンドブームが来たものの部活をやっていたぼくは乗っかることもなく、でもどこかでいいなぁと思っていたのもあり、専門に入ってから今さらバンドという感じでもなくクラブに出入りするようになり所謂パーティーというものに通うようになって。
このイントネーションはパ→ティ→ではなくパ⤴︎ ティ⤵︎なんだけど、周りからはクラブは危険とかクラブは危ないとかクラブは悪の巣窟とかクラブは危険とかクラブは危険とか言われたけど実際はそんなこと無く(少なくともぼくが行っていたパ⤴︎ ティ⤵︎は。)その頃にできた友達とは今でも親交があるし、自分でパ⤴︎ ティ⤵︎を主催してヘアショーやったりいい経験だった。
DJに憧れてバイト代突っ込んでターンテーブルとミキサーを買ってはみるものの、結局自宅DJして終わったっけw
こうやって書いてて自分の中での青春って何故か専門くらい入ってからそんな感じがしなくて、それは今にダイレクトに繋がってるからなのかなぁとか。
過ぎ去って思い返してみた時に夢中になってたものを青春と呼ぶのなら、いつか分からないけど美容師やめた時に「いい青春だったなぁ」と思えるように一生懸命生きたいと思いました。
おわり。