人は誰しも「自分には平穏で幸せな毎日が待っている」と思いがちだ。
幸せは気付かないところで毎日少しずつ積み重なり、ややもするとそれがまるでいつもと変わらない日常のように感じさせる。
ところが不幸というものには敏感で、まるで不幸であることを求めているかの如く不幸自慢をしたがる人さえいる。
しかし、幸せも不幸も紙一重でどちらも結局は本人が呼び込んでいるものには違いない。
もちろん運命的に訪れる幸せもあるがそれを掴めるかどうかは当人の能力に依存している。
そして不幸もまた、回避能力次第で避けれるものも少なくはない。
そのもの青き衣をまといて金色の野に降り立つべし
失われし大地との絆を結びついに人々を青き清浄の地へ導かん。
ぼくが生きている今は、火の七日間戦争のように熾烈でないにしても混沌とした世の中である。
その腐海の森を生き抜いていくために、不幸に好かれないように自衛していくために、瘴気マスクをしていかなければいけない。
でなければ5分で肺が腐ってしまう。
希望。
正義はひとつではない。巨神兵もトルメキアにとっては希望だったに違いない。
映画版では描かれないがナウシカは巨神兵にオーマと名付け母となる。
違った角度から見れば兵器は神にもなる。
世界はそういう微妙なバランスの上に成り立っている。
がん細胞もまた、がん細胞側から見れば正義であろう。
しかし、ぼくはまだ胃袋をがん細胞に譲り渡すわけにはいかない。
この世ではがんになるというのは不幸と相場が決まっていて、その不幸を甘んじて受ける気はない。
バリウムを飲んで乗ったメーヴェという名の診察台。
さぁ、出て来い!ぼくの中の巨神兵!
あー、バリウムしんどい…