仙台の美容師 スズキユタカのブログ/美容室KiRANA@仙台

仙台の美容師 スズキユタカのブログ/美容室KiRANA@仙台

僕の名は。

約 1 分

いつもご覧いただきありがとうございます。

ちょっととある理由がありまして、自分の生い立ちなんぞまとめたりしてみたんですが、自分でもびっくりするほどの文字数消化したので誰も得をしないのですが、意味なく置いていきます。

仙台市青葉区中央のKiRANA SENDAIで美容師をしております、スズキユタカと申します。

わたしの生い立ちなんぞを切々と語ってみます。



生い立ち

〜出生から美容師を目指すまで〜

生まれも育ちも仙台出身、昭和55年生まれの一人っ子、本性は寂しがりやの人見知りです(笑)
両親、親族が教員だらけという教職家系に生まれ小さい頃はそういう環境には多い「流れで教員を目指す」少年でした。

中高とサッカー部に所属し、高校の時は県でベスト8・県サッカー協会から功労選手賞をもらうという過去の栄光に今もしがみついています。
教員を目指し県内では進学校に位置する公立高校に通っている中で、高校2年の時に両親から伝えられたことが美容師になるきっかけでした。
「市の財政難の関係で給料が年間で100万ほど減る」
高校生だったわたしにとって100万円というのはあまりに途方もない額でした。(誤解の無いよう記しておきますが今でも100万は途方も無い金額です)
サッカーに明け暮れていたその頃、試合に勝つために練習をして研鑽し、自分の弱点を克服する努力を重ねて少しずつ結果を出すということの難しさを感じていた若く情熱溢れるスズキ少年はその事実に対して疑問を抱きました。
「なぜ自分に非がないのにそういったペナルティーを甘んじて受けなければいけないのか」
若かったんですね。アツかったんですね。

自分の努力とは無関係に報酬が変わってしまうことを(逆を取れば特段努力せずとも年月さえ経てば給料が上がるということも)その時のわたしは受け止められるほど世の中を理解できていませんでした。

そんなことを感じている頃に、幼い頃から通っていた美容室に髪を切りに行きました。
もともと母親が通っていた近所の美容室で小学校に入るくらいの頃から連れられて通っていた、近所の美容室の中ではオシャレとされるお店でした。
わたしのことは親戚の小さい子のように可愛がっていただいており、将来の話などもしていたため教育系の大学に行くを目指していることも周知されていました。「そろそろ受験勉強だね〜」などという会話も話題になるようになっていました。

前述のような感情を持ちながら髪を切りに行ったわたしに訪れたのは、周りの大人はほとんど「先生」という環境の中で、やっと「美容師」という人を「働いている」と認識できた瞬間でした。
その時担当してくださっていたのは、4大を出てから美容師になったという少し変わった経歴の方で4年の遅れを取り返すためにご自分で勉強され、美容師になってからも新しいことを吸収しようとしているのがひしひしと伝わってくる、いわゆる美容師を楽しんでいる方でした。

公務員というお堅いと言われる職業だけを「仕事」として認識していたわたしは自由に好きなことをして楽しんでいる(ように見えた)その姿が魅力的で急激にそれまでの考えが変わっていきました。
そして何より自分の頑張りが結果として評価される職業だということを感じて気持ちが固まるのにはそう時間はかかりませんでした。
高校生という色気づいた華やかさに憧れる時期も手伝って、高2の終わりには「教師」から「美容師」という同じ「師業」とは思えないほどかけ離れた職業を目指すようになっていったのです。

時代は団塊の世代の諸先輩方がまだ現役でご活躍されていた頃。そこに少子化の波が押し寄せ始めた90年代後半。
世紀末だミレニアムだと世の中が騒がしくなりかけていた頃です。
教員数に対する生徒数の減少。必然的に起こる教員数過多。
つまり教員採用試験の門が局地的に狭まっていた時代でした。

両親はそういった状況を内部から見ていたのもありあっけないほど簡単にわたしの方向転換を了承してくれました。
(これには余談があって、高校受験の際に中学校の先生や通っていた塾の先生から勧められていた高校を断り偏差値的に1ランク上の高校を強引に志望し合格して見せたという実績もあり、自分で選んだことは自分で責任を取るというプレッシャーがあった方がわたしは頑張るのではないかという両親の中での過大評価があったらしいです。)

しかしその頃現役バリバリの校長だった今は亡き母方の祖父は、初孫であるわたしが同じ門を叩きかけていたのを楽しみにしていたため顔を合わす度に公務員の良さを説き、手に職を持つ難しさや不安定な時代にチャレンジすることへの心配を伝えてくれていました。専門学校に入るまでの数ヶ月は祖父からのお小遣いを諦めるのを代償にしばらく顔を見せなかった時期でした。

さらに、高校でも壁が立ちはだかります。
進学校である公立高校にとって大学進学率は学校の指標となる重要な数字です。
わたしはいわゆる大学進学率を下げる邪魔者と化していたのです。
高校の進路相談の時間は国公立志望、私立志望、その中でも文系理系などに分かれ細かいアドバイスなどをもらう時間だったわけなんですが、専門学校志望は就職希望と一括りでとにかく大学受験をするようにあの手この手で説得されるという時間でした。
特に、自分で言うのもなんですが中の上くらいの成績をアベレージとしていたわたしは格好の的となり軽く口論になるほど路線変更を推されました。

その時から学校側の思惑は察していましたし、仕方ないことだという理解もありました。
しかし、あまのじゃくなわたしは言われれば言われるほど「ぜってー大学なんか行かねー」と頑なになっていくばかり。
そんな中、担任の先生だけはわたしの考えを尊重してくださり、資料を取り寄せたり期日を調べたりと親身になってくださっていました。
それでもやはり9割の大学受験志望者に時間が割かれるのは必然で、気づけば希望していた美容学校の推薦入学の願書の締め切りが数日後になっていました。
正直、「所詮、専門学校」という驕りと、理解してくださる担任の先生に負担をかけたくないという思いから、急いで書類準備するという申し出を断り、わたしが選んだのは一般で受けるから大丈夫という調子に乗った選択。
そしていざ美容学校の受験。思わぬ落とし穴が待っていました。
「所詮」と思っていた志望校にまさかの不合格。
希望に満ち満ちていた少年の目の前は突然、一面の闇に包まれました。
惨め。

一時は公立大学を経て聖職者を目指し、模試では参考判定ながら日本の頂点に立つ某国公立大をD判定、六大学にも数えられる某私立大はB判定などという成績を残したわたし。(補足:国語が200点満点中180点弱・県内7位の成績でその点数での判定です。同時に受けた数学は200点満点中60点台。トータルの偏差値が55程度という偏った人間性を持つのがわたしことスズキユタカです)
そんな自分が浪人…
しかも専門学校で…

仕方なくまだ入試が終わっていなかった県北の田んぼの真ん中にあった学校を全く乗り気でないまま受け、私服の高校に通っていて制服がなかったため、この上なくラフな格好で臨んだ面接で服装をボロクソに指摘されるという醜態をさらした上になぜか合格。
元から乗り気でなかったのに「あそこまで言っといて結局合格させんのかよ」とモチベーションは低下の一途をたどっていました。

そこに、飛び込んできたのが新設される美容学校が入試をするらしい!場所は実家の最寄りである長町駅前!という情報。
即、書類を準備し直接事務所に持ち込んで臨んだ入試。
見事合格。
晴れて仙台ヘアメイク専門学校(現在は仙台駅前南町通り沿いに移転)1期生となりました。

そんな紆余曲折を経て、少年は大志を抱いて美容の世界へと足を踏み入れたのでした…

…と、やっと専門学校入学まででこの量です。
読む方も書く方も気が狂いそうです。

この続きはまたの機会に気が向いたら書いてみますね…

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宮城県仙台市青葉区、KiRANA SENDAIのクリエイティブディレクター/統括マネージャー。1980年6月14日生まれ。O型。
「その人に寄り添うヘア」をモットーに手入れのしやすさ・自然なのにキマる髪型を追求しています。
柔らかい女性らしいスタイル、ダメージを感じさせないカラーリングが得意です。

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