出されたものは残さずたべろと母親から教わって育ちました。
完食の、もとい。寒色の貴公子ことスズキユタカです。
先日、「焼肉食いてーなー」なんて店で言ってたんですが、気付いたら
こうなって
こうなってました。
まぁ、基本は他愛もない(くだらない)話してうまい肉食ってヘラヘラしてたわけなんですが、おっさんになったせいかやはり仕事の話とかしちゃうんですよね。
夢がないのか抑圧してるのか
よく、今の若い子は夢がないとか、やりたいこともなく惰性で生きてるみたいな話を聞きますが、本当にそうでしょうか?
色んな決まりごとや縛りの中におかれ、するべき事ばかりを放り投げられ、それはまだでしょ?…とか、まだこれがちゃんとできてないから…とかマイナス面ばかりを注視され、そんな中で「わたしはこれがやりたい!」と声高に言える肝の座った子がどれだけいるでしょう。
ぼくがアシスタントの頃はクラブでヘアショーしたり、店が終わって朝まで飲んでそのまま仕事行ったり、練習だと称して友達店に呼んで好き勝手髪やったり、まぁ、フリーダムでした。
それが許される土壌があったからだと思います。
でも、その分、店に泊まり込みで練習したり、帰ろうとする先輩捕まえて練習見てもらったり、それなりに積極的に上達しようとしてはいました。
何よりも上手くなりたかったから。
そして、それをやればやりたいことがやれたから。
逆に言えば、そうでもしないと「やりたいことがやれる」環境ではなかったのかもしれません。
それは今もそんなに変わってないのかも知れません。
教わったことができる≠教わったことしかできない
今はどこの美容室も教育カリキュラムがきちんとしていて、黙っていてもある程度まで教わることができるところが多いと思いますが、昔はそれこそ「見て学べ」みたいな空気がまだまだあったような気がします。
カリキュラムを進めることに精一杯なアシスタントと進ませることに力を注ぐ先輩。
うちは辛うじてそうではないと思いますが、教わったことさえできればいいわけではないし、教わったことさえできないのは論外。
教わったことが全てではなく、それが土台となって自分らしい仕事ができるようになる。それがたとえ床はき一つにしても。
ぼくらの本質はお客様に技術を提供することなのでそれを疎かにしてまでやるべきことは、特にアシスタントという未完成のうちはないでしょうね。
でも、そもそも美容師になったのは「やりたい」仕事だったからなはず。
やりたいことがひとつも出来なくなるような働き方しかできないなら辞めた方がいいかもしれないし、むしろやれてないのはじぶんのせいなのかもしれない。
やりたいことはやれ。でも、やらなきゃいけないことはそれ以上にやれ。
自分がやりたいと思ってることがないわけじゃないはずですよね。
ただ、日々に忙殺され抑圧され諦め投げ出す。
それで楽しいの?
簡単に手に入るものは欲しかったものでも気持ちは冷めるし、なかなか手に入らないからこそますます欲しくなるし手に入れた時には大事にする。
やりたいことがあるなら、やらせてもらえる環境は自分で作るべきだしやらせてあげようと思われる自分でいなきゃいけない。
そして、やりたいことをやれたなら失敗して凹んで悩んで辛くなっても責任持ってやり遂げる。
そして次の世代の礎となる。
そのくらいの気概がないなら、簡単にやりたいとか言うべきじゃないし、やらなきゃいけないことだけやってたらいい。
本気でやりたいと思って、訴えて、やれる環境を自ら作る。
この本質は変わってないのかもしれません。
やりたいことがやれない美容師が、お客様がなりたいと思ってる自分をつくることはできない気がします。
そして、ぼくもやりたいことはまだまだあるし、何かをやりたいと思って頑張ってる次の世代の踏み台になれるだけの強さと、簡単に踏めない高さを身につけるべく精進していきます。
先日の4人へ。
いつか奢った分、奢れよ!